筆者は過去にブラック企業で働いていました。
その時のエピソードで、今でも忘れられない出来事が1つあります。
それは、他の従業員がしたミスを当時の社長や上司が、筆者のミスと決めつけて一方的に非難してきたことです。
もちろん、その時の筆者は必死になって「そんな事実はない」と何度も否定しました。
何よりショックだったのが、全く話を聞いてもらえなかった事でした。
さらに傷心の筆者に追い打ちをかけるように、筆者が過去におこしたミスをこれでもかと持ち出して
「こんなミスをするお前のことだから、今回もお前に決まっている!」
頭ごなしにそう決めつけて、筆者を執拗に責め立てたのです。
その時の気持ちは今でも、昨日のことのようにハッキリと覚えています。
“無実の罪で容疑者にされた人が、尋問され自白を強要されているような心境”
まさにこれでした。
筆者はこの会社に来るまで何度か転職を経験していましたので、延べ何百人もの人間と一緒に仕事をしてきました。
老若男女問わず、色んな人とコミュニケーションをとって一緒に仕事をしてきたのです。
それでも
『濡れ衣を着せられて弁明すら聞いてもらえない』
こんな体験はこの会社だけでした。
自分が犯した失敗なら当然ですが、全く身に覚えのないことを筆者のせいにされ、それを否定すれば「反省の見られない」と非難されるのです。
結局、この時は筆者の方が折れてしまい、やってもいないミスを認め意味の分からない“反省文”まで書かされることになったのです。
今ではその時の自分の判断を後悔しています。
自分が責められ続ける苦しみから解放されたくて、その場しのぎでついてしまった嘘だからです。
いくら強要されたからといっても、自分自身についた嘘は一生消えることはありません。
この時の判断が、この先しばらくの間、筆者を苦しめることになったのです。
いくら嘘であっても筆者が1度でも認めてしまえば、それが真実になってしまいます。
しかも、最初に身の潔白を訴えた後に認めてしまったので
・ミスをしたのに言い逃れをした。
・他の従業員を陥れようとした。
など、すっかり悪人のような扱いです。
そして、この出来事以来、事あるごとにこの話を持ち出されて
「だからお前はろくな人間じゃないんだ」
と非難されるのです。
もうここまでくると心がもちません。
会社内で完全に孤立してしまい、「能力が無い」「卑怯者」というレッテルを貼られ居場所がなくなったのです。
前述したように、自分に嘘をつくことは想像以上に苦しいものです。
こんな思いをしないためにも、周りから何を言われようが強い意思と言葉で“自分は無実”だと言いましょう。
反論するのが苦しいからと言って黙っているのも、自分の罪だと認めるのと同じです。
一瞬の判断ミスがその後、何年も自分を苦しめてしまいます。