長いデフレで賃金が上がらず、逆に税金や保険料、物価などは上がるばかり…。
国内経済には活気がなく、人々の顔もどことなく暗い表情に見えます。
テレビをつけても顔をしかめたくなるようなニュースばかりで、なかなか明るい気持ちにはなれません。
筆者も自分の年齢や年収、現在置かれている境遇を思うと不安ばかりが募ってくることがあります。
自分の周りでも景気の良い話やホッとする話を耳にすることが少なくなって、このままでは本当につまらない生活を送りそうだな…。
そんな暗い気持ちになった時に、「何かをしよう」と思いました。
「何か」とは、日々の気持ちを明るく前向きにするための方法のことです。
何でも良い、何かないかな?と考えた時に、以前、何かの本で読んだ話を思い出しました。
それは夜、布団に入った際にその日のことを振り返り、嬉しかった事や良かった事を思い出して呟くというものです。
ルールはたった1つだけです。
『○○ができた。良かった。』
『○○を見つけられて良かった』
と言う風に、必ず最後に「良かった」と口に出すのです。
当時、1週間ほどやっていたと思うのですが、引っ越しや転職など身の回りが大きく変化したのですっかり忘れていました。
もう1度やってみようかな?と言う気になって、半月くらい前から毎日つづけています。
やり始めの最初の時は
「良い事や嬉しかった事なんて1つもなかったよ」
と思うのですが、1つもないとさすがに寂しいので、一生懸命になって記憶を遡るとちゃんあるのです。
筆者が昨晩、就寝前に振り返った「良かったこと」を挙げてみます。
・自分と両親が大きな病気もせず元気なままで良かった。
・友人の転職がうまくいって良かった。
・美味しいご飯が食べれて良かった。
・日中、晴れたのでタオルを干せて良かった。
・温かいお風呂に入れて良かった。
一見、どれも当たり前のことのように感じますが、そんなことはありません。
最初の1つ2つ目は自分や家族が健康であることが頭に浮かぶのですが、健康であることは決して当たり前ではありません。
とってもありがたいことだと感じれるようになりました。
世の中には、就寝前に目をつぶったまま二度と目を開けなかった人もいますし、一方的に突っ込んできた車にはねられ亡くなった方もいます。
「あと1週間だけ生きしたい」と願ったのに、願いが叶わなかった人もいたでしょう。
また、もし自分が内戦が続いて政局も不安定の国に生まれていたら、1日の食べる食料がパン1つのみ…。
それを兄姉で分け合っていたかもしれません。
それに比べたら今は戦争に駆り出されることもなく、雨風を凌げる家があって、お腹いっぱい食べれる食料があり、さらにはお風呂にまで入ることができる。
この時代、この国、この家、この体に生まれたこと自体が感謝するべきことだ…と思いました。
自分に無い物をねだったり持っている人を妬んだりしても、おそらく幸せにはなれません。
それよりも『自分が持っているもの』に目を向けて感謝する気持ちを忘れなければ、自分や家族、他人に優しくなれるような気がします。
お坊さんの説法を聴けばもっとマシな言葉が浮かぶのでしょうが、私には学がないので言葉足らずで伝わりにくいかもしれません。
「足りない」「もっと欲しい」「もっと、もっと…」
常に満たされない気持ちのまま生きて行くのは、きっとかなり辛いことだと思います。
“今の自分があるのは○○のおかげ”
感謝するのは自分の周りの人だけではありません。
安全な水や電気を提供してくれる人や、食材を作ったりそれを配送してくれる人たちがいなければ私たちは生きていけません。
自分が周りから生かされていることに気付いた時が、今の世の中を前向きで明るく生きていく心が整った時なのかな?
と感じます。
これから、消費増税や新型コロナの影響がさらに過酷なものになってきそうです(R2.4.19現在)。
きっと今よりも暗いニュースを聞く日も増えることでしょう。
そんな時でも一人一人が希望を捨てず強く生きていけば、きっと立ち直れると思います。
凜とした白い百合のように強く生きたいものです。