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日本の教育は世界水準/自国の誇りと異国との文化の違いを学んだ話【体験談】

《教育》について、いつの時代も議題にとり上げられる事が多いように思います。

日本の教育についても、何度も色んな角度で議論され批判的な意見もかなり目にします。

日本に生まれて、幼い頃から日本の教育を受けて育てられてきました。

そこには自分の受けている教育に大きな疑問をもつこともなかった生活でした。

そんな私も、過去に

〈日本の教育のおかげではないか?〉

と思った出来事があります。

それは、計算と思考の展開です。

私は学生時代、モロッコへ何度か旅に行きました。

〈日本人〉〈モロッコ人〉はお互いがあまり馴染みのない人種で、それだけに色んな発見があったように思います。

何度か旅をしたうちで、私はパン屋さんで住み込みのアルバイトをさせてもらったことがあります。

その時のスタッフの計算があまりにもいい加減すぎてびっくりしました。

一応レジはあるのですが、あってないような状態でした。

会計は紙の切れ端にメモしながら計算しておつりを渡している有様です。

まあ、そんなずさんなやり方なので、おつりを間違えている事もよくありました。

しばらく様子を見ていた私はいてもたってもいられず、お節介とは思いつつも介入することにしました。

パンの表を作り、売れ行きと売り上げのメモをとり正確に記入しました。

それらをオーナーに渡すと

「初めて正確な売り上げを見た!

と驚いた表情で言いました。

これまでおおらかにやっていても商売は成り立っていたのかもしれません。

今回の出来事で、「お前はしっかりしている」という信頼をオーナーやスタッフから得る事ができました。

その国の文化や風土、教育の違いを感じた瞬間でした。

そして、そのパン屋には教育をほとんど受けていない女性がパン作りの従業員として働いていました。

彼女は私よりも3歳上で、きちんと働いて生活をしている優しくて聡明な女性でしたが、読み書きができませんでした。

そして、ある日、彼女は私に彼女の電話帳を見せたかと思うと、

「首都にいる友達の電話番号を教えて欲しい」

と言ってきました。

さきの一見でスタッフの私の見る目が変ったので、頼ってきたようでした。

当時の私の語学力では、アラビア語は標識くらいしか認識できませんでした。

彼女に「無理だよ」と伝えながらも、《彼女の役に立ちたい》《解読して見つけたい》と思う気持ちがふつふつ湧いて来ました。

そうして、彼女の頼みを引き受けることにしたのです。

まずは100件くらいある電話番号に目を通し、日本の市外局番にあたる部分をピックアップする事にしました。

この作業で10人以下に絞れました。

そして彼女から友人の名前を聞き、名前の文字数に焦点を当てました。

長すぎる名前や短すぎる名前を候補から外していったのです。

これで3人まで絞れました。

そして、私が日本から持って行った辞書で発音に近い文字を探しました。

ここまでやって、とうとう最後の1つにたどり着いたのです。

もちろんそれが正解なのか確信はありませんでしたが、1つの正解を導き出すまでの過程の作業は自分なりに信頼性のあるものでした。

彼女にメモ帳を返却し、おそらくこの人ではないか?

と伝えました。

その時の私の心境は

〈私を頼ってくれた彼女の信頼に応えたい気持ち〉

〈テストの採点を待っているような気持ち〉

この2つが混在していたように思います。

その結果、私は彼女の期待に応えることができたのです。

確信がなかったので、最後の3人に絞った際の他の2人分の名前も彼女に伝えていました。

ですが、彼女は一回目の電話でお目当ての友人と話す事ができたのです。

彼女は満面の笑顔で、私にアラビア語が読めるのか?と聞いてきました。

探し出した作業のやり方を説明すると、彼女はもの凄く驚いて周りにいた人達に誇らしげに説明していました。

それを聞いたスタッフからは、まるで偉人かのように褒めちぎられました。

ですが、これも考えてみれば私が自分で生み出した法則ではありません。

独学で学んだワケでもなく、日本の学校教育などの積み重ねではないか?

と感じました。

もちろんモロッコでも知的レベルが高く、高度な教育を受けている人たちはいます。

ですが、国民全体の教育はどうか?と言われた時に、日本のような高い水準で教育されている印象はありません。

私が正解を求めて一つずつ解読していく応用力は、日本の教育で自然と培われたものではないか?と感じました。

読み書き、計算はもちろんですが、物事を考える基盤になるものを幼い頃から日本の教育で学んできたようにも思います。