私は40代のリアル結婚出来ない男です。
10年以上、彼女もいなくて趣味といえば登山くらい…。
毎日、会社と家の往復のみですごく辛いこともなければ、すごく楽しいこともない刺激のない日々を送っています。
以前、周りの友人がどんどん結婚して行った時期がありました。
お互い「早く良い相手が見付からないものか」なんて愚痴を言いながら話していた仲間たちです。
友人達がパートナーを見つけ、子供ができると一緒に飲みにいったり電話で話すこともなくなります。
1人、また1人と付き合う友人がいなくなる度に寂しい気持ちになっていきました。
「何で自分だけ…」と悩んだこともありました。
今はあることを切っ掛けに独身を楽しめるようになってきました。
“あること”とは年賀状に関係する話です。
今回は、独身を楽しめるようになるまでの経過と、その切っ掛けとなった年賀状の話をご紹介させて頂きます。
同年代の、独身で悩む男性に響くものになれば光栄です。
独身男性がファミレスで見た幸せそうな家族に嫉妬!?
周りの友人たちが結婚して会うこともなくなった生活も、年月の経過とともに寂しさが薄れてきました。
それでも
“独身の気楽さは楽しい”
そう思えるまでには至ってませんでした。
休みの日になると、一人でファミレスに行くことがあります。
以前でしたら友人を誘って来店していた店ですが、もう誘える友人はいません。
一人で店に入ると家族ずれも多いため、嫌でもその様子が視界に入ってきます。
美人の奥さんや可愛い娘たちと、楽しそうに食事している同年代の男性を見かけたりすると、私は人間ができていませんので
「あのおっさんと自分は何が違うんだ?」
全ての幸せを手に入れたように思える男性に対して、妬みや嫉妬を抱くこともあります。
心が穏やかではなくなり嫌な感情が湧いてくるので、そんな時、不謹慎かもしれませんが不幸せそうな男性を目で探すのです。
すると大抵は見付かります。
公共の場にもかかわらず怪訝そうな顔をして旦那さんを怒っている奥さんと、文句も言わずに小さくなっている旦那さん…。
二人の息子に邪険にされて居心地が悪そうにしている旦那さん…。
そんな男性を見つけては
「あんまり幸せそうじゃないな」
「やっぱり俺は独身で正解だ!」
こんな時とばかり、独り身の自分を正当化したりして優越感に浸っていました。
はっきり言って嫌なヤツです。
独身男性には辛い『年賀状』というイベント
お正月になると、独身の私には更に辛い事が待っています。
年賀状です。
(もう出さなきゃ良いのに…)
自分でもそう思うのですが、20年以上続けてきた習慣を止めることもできず、ここまで続けていました。
届いた年賀状を見ると、家族旅行の写真を使っている年賀状が多々あります。
「ハワイに行ってきました!」
「USJに行ってきました!」
など、どれも楽しそうに写っていて、私には別世界のことのようです。
見ている時はワクワクしながら良い気分になるのですが、見終わる頃には決まってやるせない気持ちに襲われます。
(あいつはこんなに幸せな家庭をつくったのに俺は…)
毎年、年賀状を目にする度にそんな感情になっていたので、正月を良い気分で過ごした記憶はほぼありませんでした。
「独身でも楽しい年賀状を作ろう!」と閃く
ある年の正月、いつも通り届いた年賀を見ていました。
見終わってからやはり物悲しい感情が湧いたのですが、部屋のカーテンを何気に開けた時です。
目に飛び込んできたのは見事な青空でした。
私の家の窓からは遠くに富士山が見えます。
その景色を見た瞬間、自分の中から湧き上がる衝動を感じました。
「今年は富士山に登ろう!」
そして有言実行したのは、同じ年の夏です。
これまで昇った山々とは違い、標高も日本一ですので簡単ではありませんでしたが何とか最後まで登り切りました。
そして山頂まで行き、ご来光をバックに自撮り棒で写真を何枚も撮ったのです。
本来の目的はここから…。選び抜いた最高の1枚の写真を使って年賀状を作りました。
「富士山に行ってきました!」
と派手にコメントを添えて。
富士山に登って撮った写真はインパクトがあるし、何より縁起が良くて喜ばれるはず…。
そんなことを想像しながら、今までとは異なる感情に酔いしれました。
さすがに反響はありました。
結婚して家庭をもった友人や、会社の同僚からも次々と良い反応が届きます。
自分が置かれている状況で楽しめる事を考える
翌年の元旦、いつも通り届いた年賀状をめくって見たのですが、以前のような寂しい気持ちにはなりません。
年賀状を止めなくて良かったとしみじみ思います。
元々、登山は好きですし出不精なわけでもありません。
今までは趣味として一人で楽しむ範囲でしたが、山頂の景色の素晴らしさなど友人や知人と共有するもの悪くないと思いました。
いま考えれば、旅行に行った時の写真を年賀状で送る友人達も同じような気持ちだったのでしょう。
自分たちの楽しかった思い出を、私を含む多くの人たちと共有したかったのかもしれません。
以前のわたしは、楽しそうに笑っている友人の写真を見て、家庭をもたない自分と比較して卑屈になったりしましたが、そんな自分を好きにはなれません。
「楽しそうで良かったな」「幸せそうで何よりだ」と、一緒に楽しめるような生き方を自分もすれば良いのだと気付いたのです。
(今年はどこに行こうか?年賀状の写真に何を使おうか?)
今からどの山に登るかワクワクしながら予定を考えています。
絶景とともにポーズを決めている写真は、自分が見ても楽しそうに見えます。
ただの自己満足かもしれませんが、いまは正月が楽しみですし良い気分で1年のスタートを切れています。
ちなみに「結婚しない」と決めている訳では決してありません。
もし結婚できたら年賀状に使う写真を撮るために、奥さんと一緒に旅行に行きたいなと思っています。
今は男性の生涯未婚率が20%とも言われています。
どんな事情があるにしろ、今の生活をどのようにして楽しむか?
この問いに対して、一人一人が真剣に考える時代になっていると思います。
自分の人生を歩むために、仕事よりもよほど優先しなければいけない大事な事ではないでしょうか?
最後まで読んで頂きましてありがとうございました。