子どもといると、物事をまっすぐに見ることの大切さに気付かされます。
息子達はいい事も悪い事もまっすぐに受け止めます。
例えば、彼らに対して私が怒っていると、
「怒ってる?」
「どうして?」
という感じで何度も聞いてくる事があるのです。
私はそれを「子供だから空気が読めないのかな」と考えたり
「分かろうとしていないんだ」
と勝手な憶測で捉えてました。
「それくらい分かるでしょ」と子供たちに言ってしまう事さえありました。
でも、実はそうではなかったんです。
むしろ、彼らは私と向き合おうとしてくれていたのだと気付きました。
彼らに対して私が笑っていると、
「ママが楽しそう!」
「楽しいね!いい事あった?」
と一緒に楽しそうな顔で喜びを全面に押し出してきます。
そんな子供たちをみて
「私の表情や口調から私の感情を読み取っているんだ」
と、ハッとさせられました。
楽しい時は理由を言うのに、怒っている時にその理由を子供に言わないのはフェアじゃないなと反省しました。
彼らの行為は、とても大切な事だと思います。
昔は私が笑うと、息子達はピョンピョンと跳ねながら全身で喜びを表現してくれました。
成長して思春期に入った今はさすがに跳ねることはありませんが、それでも一緒に笑ったり一緒に喜んでくれます。
これまで人生で物事を素直に受け止めたり、まっすぐに問題と向き合う事はなかなか難しい時もありました。
年齢を重ねる毎に、自分の中で感情を出し過ぎないように、どこかでコントロールしてきたように思います。
そして、調整しすぎている自分にも気付きました。
私が笑って息子達が楽しくなるのではなくて、実は私自身が楽しくて嬉しく感じているんだとしみじみと思います。
息子達がどんなで時も、素直に私を見て受け止めてくれました。
一方で私の方が、良い時と悪い時で物事の捉え方が変わっていたように思います。
彼らは、自分達の今できる事を探っていて私に寄り添ってくれています。
私は、自分の都合で彼らの感情や言葉に対して先回りするような気持ちを持つのは良くないのでは?
と思うようになりました。
私が怒っている時に、子供たちはその様子に気付いて戸惑い、心配になって聞いてきます。
そんな彼らに対して、きちんと答えるべきなのに「分かるでしょ!」「分からないの?」という言葉は不適切だなと気付きました。
大人になり、色々な経験を生かした物事の進め方は大切な事です。
さらに相手とまっすぐに向き合い、良い事も悪い事も含めて感情に寄り添い共有しあう事は、人生を豊かにしてくれるものだと気付かされました。
私の人生の三分の一も生きていない彼らに、まっすぐに見ることの大切さやそれが人との友好な関係の築き方の一つである事を改めて教えられました。