世の中には【ゴミを捨てる】人と【ゴミを拾う】人がいますが、あなたはどちら側の人間でだと思いますか?
実際、統計があるわけではないですが日本人の性格を考えると
「ゴミは捨てないけど、積極的に拾うこともしない」
という人の割合が一番多いようにも感じます。
以前、こんな記事がネットニュースに出て話題になりました。
エンゼルスの大谷翔平選手が、試合中にグラウンドの1塁ベース近くに落ちていたゴミを邪魔にならないファウルゾーンに投げた、という記事でした。
記事の内容は大谷選手の行為を称えるもので、記事を目にした世間の評判も高いものでした。
・なぜ大谷選手の「ゴミを拾う」行為がここまで賞賛されたのか?
・「ゴミを拾う」行為に成功者になるためのヒントはあるか?
今回の記事では主にこの2点について、深掘りしながら考えていきたいと思います。
目次
なぜ大谷選手の「ゴミを拾う行為」が賞賛されたのか?
なぜ大谷選手の「ゴミを拾う行為」が賞賛されたのか?
というと、その行為は尊い事でその人の人格や人間の大きさを表しているからです。
大観衆が見ている中で緊張でガチガチになってもおかしくない場面で、大谷選手は「ゴミを拾える人」なのです。
そんな大観衆の前で大谷選手は、冷静で人の気付かない細かな事にも注意が行き届いていたことが証明された格好になりました。
“常に平常心で普段通りの力が出せる”
という評価にも繋がりやすかったと思います。
まさに大スターに不可欠な要素の1つを、大谷選手がもっていたという事ですね。
またそれと同時に、ゴミの存在が他の選手の怪我の原因になったり集中力を欠く要因になり得ることを考えれば、他の選手を助ける行為でもあったのです。
周りから賞賛されて当然なのかもしれません。
「ゴミを拾う行為」が人生の成功の鍵?
常に平常心で、どんな状況でも自分の力を出せる人は成功者に近づいていると思いませんか?
それは野球に限らず、どの分野であっても成功する鍵に繋がります。
大谷選手はゴミを拾う行為を
「人が捨てた運を拾っている」
と表現したらしいですが、もしかして落ちているゴミを見つける度に
「また、これで自分に運が向いてくる」
と思っていたのかもしれませんね。
そして、この言葉は本当に「運」を大谷選手に運んでくることを示唆しています。
簡単に説明すると、大谷選手がゴミを拾う場面を見た人々の多くは、大谷選手を好きにならずにいられません。
実力と才能があって周りから高い評価をされても、おごることなく謙虚で真摯な態度ができる人は尊敬されるからです。
それは敵チームのファンであっても同様です。
人気商売だから、ファンが増えれば多くの観客を球場に呼び込むことができるし、グッズもたくさん売れて多くの人から応援される存在になります。
「大谷選手のような選手になりたい」
と、多くの子供たちが野球を始めればスポーツ人口がふえて、球界全体が盛り上がっていきます。
まさに良い事ずくめです。
「ゴミを拾う」行為が成功へのステップであることをマザー・テレサの言葉で説明する
さて、私たちも例外ではありません。
大谷選手のようなスタープレーヤーでもなく、目の前に大観衆がいるワケではありません。
それでも、全ての人には仕事だったり家庭だったり色んな顔があります。
私たちは「平常心」を保てているでしょうか?
さらに「時間が無い」ことを理由にして、その人にとって障害になることを分かっていながら放置していないでしょうか?
マザーテレサの言葉で有名な格言があります。
・思考に気を付けなさい、それはいつか言葉になるから。
・言葉に気を付けなさい、それはいつか行動になるから。
・行動に気を付けなさい、それはいつか習慣になるから。
・習慣に気を付けなさい、それはいつか性格になるから。
・性格に気を付けなさい、それはいつか運命になるから。
《マザー・テレサ》
【成功】とは成りたい人間になったり、欲しい物を手に入れた時に言うのであれば、成功するためのステップがあるのではないでしょうか?
マザー・テレサの格言の通りに考えれば、自分の望んだ運命にするならば「思考」⇒「言葉」⇒「行動」⇒「習慣」⇒「性格」の順にステップアップしなければいけません。
他人が捨てたゴミを拾うのは勇気がいる行為で面倒な作業かもしれません。
ですが、その行為が他人の心を動かしたり、行動を変える行為に繋がるのならば「ゴミを拾う」ことは大きな影響力をもつことになります。
例え誰も見ていなかったとしても、「成功者」に必要な要素を1つ手に入れることになるかもしれないのです。
「そこまで計算するのは卑しい人間だ」
と言う人もいるかもしれません。
ですが、マザー・テレサの成功の法則の「逆のパターン」もあります。
最初は「女性にもてたい」という切っ掛けで始めたスポーツで天下を取ったり、莫大な財産を手に入れた人はたくさん存在するのです。
始めた時の動機は必ずしも褒められる内容ではなくても、成功する人はどこかで正しい思考になるのだと推測します。
大事な事は「行動に繋がる思考(動機)」ではないでしょうか?
なぜ多くの人は落ちているゴミを見ても拾わないのか?
次に、目の前に落ちているゴミを拾わない人たちの立場になって、「なぜゴミを拾わないのか?」その理由を考えてみました。
《目の前のゴミを拾わない理由》
「誰が捨てたかも分からないゴミを拾うのは不衛生」
「自分の家でもないしゴミがあっても気にならない」
「自分が捨てたわけじゃないから拾う義務はない」
まだ他にもあるでしょうが、主に上記の3つだと思います。
ほとんどの人たちがこういった思考になるのではないでしょうか?
“間違っている”とは言えなくとも、この思考が身についている人が大きな視野を身につけたり他人を喜ばせることを考えるのは難しいのかもしれません。
要は誰かが喜んでくれることでなければ、そこに市場価値はないからです。
ゴミを拾う行為は《良い行い》です。
大谷選手もゴミを拾っている稲葉選手を見たときに「感動した」と言っています。
私たちは公の場でゴミを拾った人を見てどう感じるでしょうか?
《ゴミを拾う人を見た印象》
・周囲に気配りながら生活している。
・人が見ていない所でも自分を律して生活している。
・他人がした失敗を自分事として受け止め自分にできる事を提供する。
・心がキレイな人。
・真面目で誠実な人。
どうですか?プラスの印象ばかりですよね。
さらに、ある会社では積極的に採用したい人材として《落ちたゴミを拾う人》と言っています。
その理由は《役職に関わらず問題解決に向けた努力を社内でしてくれる人材》として期待されるからです。
それだけ「ゴミを拾う行為」は尊い行動なのです。
おわりに
「ゴミを拾う行為」をここまで深掘りして考えることは、普段ないかもしれません。
実際、落ちているゴミは気になっていても、人の目が気になって拾えない人は多いと思います。
せっかくキレイな心をもっているのに、他人の目を気にして『良い行い』をできないのはもったいない気がします。
落ちているゴミを全て拾うのは現実的ではありませんので、歩いている時に目の前のゴミを拾うという風に考えて行動してみたらどうでしょうか?
これなら少しできそうな気がしませんか?
筆者も以前、近所にある海岸のゴミ拾いをしていた時期がありました。
トングとビニール袋をもって散歩しながらやってたのですが、ゴミが多すぎてきりがないので、自分が拾うゴミは「買い物袋1枚分」と決めていました。
ゴミを拾う度に自分の心が洗われていくような、すがすがしい気持ちになったのを覚えています。
まさに「誰かが落とした運を拾っている」ような感覚になります。
冬の時期になってから止めてそれっきり行ってませんが、自分のためにまた始めてみようと思います。