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学生の頃の記憶『受験勉強』は果たして無駄だったのか?/社会人の今、振り返ります

日本の受験勉強は意味がないという意見を聞いたことはありませんか?

両親や学校教師から葉っぱをかけられて、したくもない勉強についやらされる日々。

「何のための勉強なのか?」

疑問に思っても直接、親や教師にぶつける子供は少ないように思います。

「もっと友達と遊びたい」

「他にやりたい事をみつけたい」

子供らしさに蓋をして、勉強漬けの毎日…

自分がしたい事に時間を費やすことは難しく、

「立派な大学に行って立派な会社に就職しなさい」

両親の言葉が全て正しく、それ以外の選択肢はないかのように幼い頃から教育される。

納得しないまま不満の残るまま両親から言われた通り、受験勉強をやり続けた結果、希望の大学に合格したとしましょう。

「よ~し、大学に行ってからもガンガン勉強するぞ!」

と思う子供が果たしてどのくらいいるでしょうか?

むしろ、筆者を含めて

「ようやく勉強漬けの日々から解放された」

「大学に行ったら遊ぶぞ~」

なんて人が多いのではないでしょうか?

本来は大学に行ってからが勝負なのですが、多くの子供は大学に行くまでの苦労や苦痛が大きく、

「入学してから更に頑張る」

という発想にはなりにくいと思います。

高校時代の筆者も受験勉強はつらく、将来的には何の意味があるのかという疑問が常にありました。

当時の勉強に費やした日々は無駄な事ばかりだったのか?

社会人になってから、あまり真面目に考えたことはありませんでしたので、今回、思いつくまま綴ってみたいと想います。

受験勉強のメリット:忍耐力がついた

大学受験の前は、だいたい1日7~10時間勉強していました。

毎日、机に向かって勉強するので、肩が凝ったり腰が痛くなったり、睡眠時間も削られたりと体のコンディションが悪い日もありました。

特にメンタルは、常に不安神経症、うつ状態のような状態がずっと続いていました。

今すぐにでも受験勉強を投げ出して遠い場所に行きたいという気持ちにもなりました。

ただ、そこから逃げたら自分の将来を棒に振ることになってしまうと考えて、必死に机にしがみつくように勉強と向き合っていました。

そんな極限の精神状態で戦った受験勉強があったからこそ、今社会に出て様々な壁にぶち当たったとしても、大学受験の時の方がつらかったと乗り越える気力が湧いてきます。

きっとあの時大学受験の勉強を必死にやっていなかったら、社会に出て通用しない場面もあったのではないかなと思います。

また、大学受験というのはいわばライバルとの戦場ですが、これは社会に出た時の競争能力にいい影響が出ていると思います。

筆者は大学受験の際に、予備校に通っていたクラスメイトと模試の点数を公表し合ってました。

筆者よりも学力が高かった2人でしたが、教科によっては良い勝負になることもあり、勝手にライバル意識をもちながら成績を伸ばしていきました。

競争は社会に出ても沢山の場面であります。

筆者も元々は温厚な性格だと思うのですが、勝負事になるとスイッチが入ります。

職場で自分のやった仕事が数字で表れるので、昨年の自分や先月の自分を上回る成績を上げようと躍起になります。

「数字」は受験勉強で言えば「テストの点数」です。

当時は何度も夢に出てくるほど、数字が頭の中を支配していました。

仕事に奔走していると、ふと当時の事を思い出すのも「数字」にこだわって成績を上げようとする想いが今の状況と被るからでしょう。

会社の同僚や同業者に対して、相手をリスペクトしつつもその相手を上回る成績を残してやろうという競争心はまさに大学受験の勉強から得られたものです。

社会人になった今でも活かされています。

受験勉強のメリット:緊張する場面での場慣れ

また、受験本番の時に極度に緊張したのですが、この緊張した体験も社会に出てから活かされていると感じています。

例えば会社の上司らに対して、会議の場でプレゼンテーションをする際には大人になってからも緊張することがあります。

一方で、もし受験本番での緊張感を味わえてなかったらもっと緊張がひどく仕事にならなかったとも思います。

このように社会に出て様々な場面で受験と向き合っていた当時に得られた精神力が活かされています。