筆者は40代半ばの冴えないオヤジです。
筆者の両親は「団塊」と言われる世代で、その子供にあたる筆者の世代は一般に団塊ジュニアと呼ばれています。
『団塊ジュニア世代』は、年間の出生数が200万人を超えた第2次ベビーブームの1971~74年生まれです。
この年代は人数が多かったので、子供の頃はテレビアニメやゲーム、エンターテイメント等、この年代をターゲットにした商品やサービスが各メーカーから大量に生産されました。
学校が終って家に帰れば、観たいテレビアニメやドラマがたくさん放送されていましたし、初代ファミコンが登場したのも筆者が小学生の時でした。
ファミコンは爆発的な人気で、当時はクラスの半数以上の子供が持っているほどの大ブームを巻き起こしました。
さて、同じ年代の人間が多いということは、学年が上がっていくと何がありますか?
そうです。
大学受験があります。
『第三次ベビーブーム』を生み出せなかった日本は、このまま少子化が急速に進むと言われています。
大学受験も定数割れの大学が増え、運営できなくなっていくことでしょう。
私たち「団塊ジュニア」が大学受験を目指していたとき、その受験生の多さと合格するのが狭き門だったことで『史上最大の受験戦争』とも言われました。
後にも先にもこんな表現をされる年は、おそらく二度と来ないのではないのでしょうか?
この記事では、私たち「団塊ジュニア」が大学受験を前にしてどのような心情でどのような日々を過ごしていたのか?
筆者の実例を踏まえて、僭越ながらご紹介させて頂きたいと思います。
目次
『史上最大の受験戦争』に巻き込まれる団塊ジュニア
『史上最大の受験戦争』と言われた背景には、『団塊世代』に共通するある想いがありました。
「自分がした苦労を子供に味わせたくない」
という想いです。
団塊世代が高校を卒業する際、進学するよりも就職する人の方が多かった時代です。
例え学校の成績が良くても、経済的な理由で大学に行くのを諦めた人たちが数多くいました。
その後、会社に就職しても、「大卒」と「高卒」では出世・給与に大きく差が出た時代です。
まさに「能力よりも学歴を重視していた」と言えます。
そんな学歴社会の煮え湯を飲まされてきた「団塊世代」が、「自分の子供には大学に行って欲しい」という気持ちで大学進学を強く求めたのです。
筆者の周りでも、進学を目指すクラスメイトの多くは親の影響を大きく受けているようでした。
「大学に行くことが、将来幸せになるための必要最低限の条件」
このように教え込まれた子供は筆者だけではないハズです。
友人などに聞いても、当時はどこの家庭も似たような環境だったようです。
筆者も、そんな親の思いを毎日聞かされていましたので、
「自分の使命は親の期待に応えること」
と考えていました。
実際、大学に行ったからと行って必ずしも幸せになれるワケではありません。
いくら子供とはいえ、「人生はそんなに単純ではないだろう」と思っていました。
それでも親の期待が強すぎて、進学以外の選択肢を言葉に出すことも許されない空気が出来上がってました。
親の強い思いに反論するだけの知識も処世術もなく、自己主張できない人間だったと言えます。
そうして誰もが経験したことのない『史上最大の受験戦争』に突入していったのです。
プレッシャーに消耗していく「団塊ジュニア」
元々嫌いな勉強を毎日しなければいけない生活が楽しいはずはありません。
当時、高校教師や予備校講師から
「これまで受験すれば合格できた大学は、今では遙かに難易度が上がり相当な勉強量を積まないと合格は難しくなっている」
と繰り返し聞かされました。
今でも覚えているのは
・「夏休みをどう過ごすかで勝負が決まる!」
・「1日100個の英単語を覚えろ!」
・「これだけやれば絶対受かる」
・「ライバルを出し抜く方法はコレだ!」
等の受験生や親に向けたキャッチコピーの数々です。
TVのCMや書店に並ぶ参考書の数々、ラジオなどで毎日のように見聞きしていました。
その度に
「今の勉強量・勉強方法で合格できるのか?」
「この合間にもライバル達は勉強している」
などと煽られている気分になり、心にダメージが残るようになりました。
いくら勉強したところで合格する保証はなく、やってもやってもゴールの見えないマラソンを走っているような気持ちになります。
当時の筆者の楽しみは「寝ること」と「プロレス中継を観ること」だけでした。
この2つは唯一、「悲観的なことを考えない時間帯」だからです。
受験生時代に心のより所を求めた「団塊ジュニア」
『川の流れのように』美空ひばり
当時よく聞いていた曲は、美空ひばりの『川の流れのように』です。
周りの高校性と違うのは自覚していたので、友人にも「美空ひばり曲は良いよね!」なんて言えませんでした。
我ながらオヤジくさい変わった高校生だったと思います。
今になって、なんでこの曲をよく聴いていたのか考えてみました。
おそらく、「いつ勉強するんだ?」と起きている時は常に頭の中でもう一人の自分から責められていたからです。
今では心が疲れた時の対処法がネットでいくらでも検索できますし、SNSで共感してくれる人たちと繋がることができるので良い時代です。
「川の流れのように」という曲は作詞があの秋元康です。
あの独特のゆったりとしたテンポと心に響く歌詞が、筆者の気分を穏やかにさせてくれました。
『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』
夕食後、勉強をしているといつの間にか家族も寝静まり静寂に包まれます。
ふとした時、一気に孤独感が強まる日がありました。
ネットもない時代でしたので、寂しくて堪らない時はラジオをよく聴いていました。
「ウッチャンナンチャン」のお二人の声とテンションが丁度良かったです。
テレビでも活躍し始めた頃でしたし、若手のお笑いタレントでは「ダウンタウン」と並ぶ売れっ子でした。
「マセキ芸能社」「マセキ リホ」?当時、ウッチャンナンチャンの妹分のようなポジションで売り出していた人もいましたね。
その他には、伊集院光のラジオ番組もよく聴いてました。
こちらはトークが面白かったです。
プロレス
当時は『第2次プロレスブーム』(第1次は初代タイガーマスクの時代)と言われる程、盛り上がっていました。
テレビ中継があると欠かさず観ていましたね。
番組を録画しながら見て、翌日以降は録画したものを繰り返し観ていました。
さらに「週刊プロレス」「週刊ゴング」などのプロレス雑誌も、毎週発売日に読むのが楽しみでした。
プロレスの魅力は、その非日常的な世界です。
そこで戦うプロレスラーは筆者にとってヒーローで憧れました。
何度やられても歯を食いしばって立ち上がるレスラーの姿が、受験勉強で苦しむ当時の自分に勇気を与えてくれました。
試合を観る時は、感情移入しまりです。
試験当日のパフォーマンス向上を狙っていた「団塊ジュニア」
合格を掴み取るためには、闇雲に机に向かうだけでなく色々な方法を実施するべきだ、という意見もありました。
その一つが、受験場所の見学です。
受験会場を見学することで会場の雰囲気が分かり、本番の緊張感を軽くし本来の実力を発揮するのが目的です。
僕の場合、試験会場が大学だったので中に入れてもらう勇気はなく断念しました。
そこで「大学周辺を歩いて憧れの大学生活を想像しモチベーションを上げる」という選択を取りました。
あちこち景色を眺めながら歩き続けました。
当時、スマホもなく地図を片手に何度も道を間違えながらでしたが、憧れの街を歩くのはとても楽しい気持ちになりました。
大学に合格してその地で生活するイメージがより明確になり、「きっと受かる!」と帰りの電車の中で誓ったものです。
試験前日にパニックを起こした「団塊ジュニア」
新幹線を使い、前日に現地入り。
ホテルのチェックインを早めに済ませ、部屋に籠もって参考書に目を通します。
翌日に疲れを持ち越さないように、普段より早めに床につきましたが、興奮してるせいか全然眠れません。
何十分そんな状態だったのか分かりませんが、突如、強い不安感に包まれました。
動悸が段々と激しくなり、落ち着こうと思っても一向に収まらず、どんどん呼吸も浅く速くなっていきました。
頭はパニック状態で、訳が分からず気がおかしくなりそうに…
衝動的に何かやってしまいそうな予感がしました。
自分で自分の心がコントロールできない恐怖をこの時、初めて感じました。
どうしたら良いのか初めての体験で全く分かりません。
「どうしよう…」「もう駄目だ」と思った時に、母親の顔が浮かびました。
電話して「どうしよう、何かおかしい。落ち着かない、寝れない」と母を動揺させないように普段のトーンで話しました。
母親は「どうした?大丈夫?○○持って行ったでしょ?飲みな、睡眠効果があるから」と言います。
薬はバファリンだったか忘れましたが、体調を崩すことも想定して色々薬を持参していたのが幸いしました。
薬の効果は分かりませんが、肉親の声を聞けたことでほっと我に返ることができました。
電話を置いた後、随分と気持ちが楽になりましたが、再発の不安はまだありました。
カバンに入れていた『週刊プロレス』を思わず取り出します。
向かう新幹線のホームで購入していた物です。
「コレは精神安定剤になるかもしれない」と手に取り、頭の中をプロレス一色にするようつとめました。
表紙は「新日本プロレスの馳浩選手」でした。
その後どうにか眠ることができ、快眠とはいかないまでも、試験に向けて必要最低限の睡眠はとることができました。
試験当日も不安に潰されそうになった「団塊ジュニア」
会場に行くまでの記憶はほとんどありません。
試験前、会場でソワソワと落ち着かない気持ちで試験用紙が配布されるのを待っている…
そんな状況だけが記憶に残っています。
そうこうしているうちに、また不安感が増幅してきました。
心拍数が上がってきて、脂汗が出て来ます。
その後、吐き気まで襲ってきたので
(ヤバい!どうしよう!?)
と、かなり慌てました。
この時に耐えられたのは
「昨日の方がもっとヤバかった」
と思えたことに尽きます。
辛い体験でしたが「一度乗り越えた」経験は心に余裕をもたせてくれました。
試験直後の記憶がなくなった「団塊ジュニア」
高校受験が終わった直後のことはよく覚えているのに、大学受験の後はほとんど記憶がないのが不思議です。
やりきった気持ちなのか、不完全燃焼だったのか、よく覚えてません。
バスに乗って駅から新幹線に乗り換え、自宅に帰った後、親から試験の手応えを聞かれたらしいのですがさっぱり覚えていません。
後日、無事に「合格通知」が自宅に送られて来ました。
人の記憶は、楽しい思い出よりも苦しかった事をよく覚えているものだと言われます。
あの時代を生きたからこそできた経験を、その後の自分の人生に生かして来ただろうか?
それが少しでも実感できたなら無駄な経験ではなかった。
ただ、「親から言われたから勉強する」というのは自分の意思ではなかったため、受験勉強を乗り切るには弱い動機でした。
正直な話「親の言う通りにすれば間違いない」とまでは思えなかったです。
とはいえ「自分がやると決めた以上は自分の意思」と考えれなかったのは自分の弱さ。
これからの人生の教訓にしていきます。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。