44歳の冬に何となく
「肩こりがひどいな~」
「疲れるな~」
という感覚がありました。
その時は、まさか自分が『老眼』になっていたとは思ってもいませんでした。
今回の記事は私が『老眼』を自覚したきっかけや、『老眼』を受容してから目を労るようになるまでの経過を時系列でご紹介します。
まだ『老眼』になる年じゃないよ~(笑)
という若い方も、いずれは通る道と考えて今から心づもりをしておくと、いざという時に必要以上に落ち込まなくて良いかと思います。
『老眼』その日は唐突にやってきました
当時は44歳だったので、普通に考えて『老眼』になってもなんら不思議ではありませんでした。
今まで全くその気配がなかっただけに「素直に受け入れられなかった」と言った方が適切かもしれません。
元々、近視であり乱視だったものの、ギリギリ眼鏡を使うこともなく済んでいたので、ボヤッとした視界が普通になっていました。
年を越したある日、届いた年賀状を見ていると、
「どうも小さい文字が読みづらいな」
と感じました。
いくら頑張ってもピントが合わないので、
「これは、もしや老眼ではないか?」
と思ったのが最初のきっかけです。
後日、恐る恐る周りの人に聞くと「老眼!」と指摘する声が多くありました。
もう「断定」されたような言われ方でした。
自分の中ではまだ認めたくない気持ちが強かったと思います。
『老眼』を受容した日
そして、決定的に「老眼だ!」と思ったのが時計の取扱説明書を読んでいる時でした。
全体的に小さい文字で、日本語と数字、英字で構成された文章を読もうとした時に目のピントが合いません。
「あれ?おかしいな」
その時はすぐ読んで理解する必要があったので、スマホで写メを撮り拡大しながら読みました。
これはこれで便利な時代になった恩恵ですね。
その後に襲ってきたのは
「とうとう自分にもきたか…」
という落胆でした。
なんせ「あなたは確実に老化してますよ」
と太鼓判を押されたようなものですから…
分かってはいても、正直ショックでした。
年賀状を見た時にあれだけ周りから『老眼』を指摘されたのに、どこかで考えないようにしていたのでしょう。
この時、自分が写メを撮って拡大した行為に「ハッと」しました。
この頃から自分も覚悟を決めました。
『老眼』の「受容」から「労る」気持ちへ
それからは目がかすんだりする度に決まり文句のように、
「老眼なのだから、目が疲れやすい」
「無理をせずにここらで休憩を取ろう」
などと自分の目を労ることを心掛けました。
『老眼』はどんなに嫌でもいつか自分の身に降りかかります。
いつまでもクヨクヨしていてもしょうがないので、きちんと受け止めることが大切です。
そして疲れたら目を休めたりマッサージをしたりしながら、上手に老眼と付き合っていくほうが建設的です。
見えない物を必死になってピント合わせするような行為は目に負担がかかるので逆効果です。
そんな往生際の悪いことはせずに、パソコンなら拡大ツールを使用する方法がありますし、紙媒体ならスマホで拡大するという選択肢もあります。
この時代に生まれた幸せを最大限に活用しましょう!
死ぬまで使う目です。
目が「もう疲れたよ」と言ってきたら、無理をさせずに休ませてあげましょう。
そうした自分の身体への気遣いが、もっと必要だと思います。
今では、車の運転にも配慮しています。
時間の融通が利く範囲でですが、夕方以降はなるべく控えるようにしています。
「自分が老眼だ」と自覚してそれを受け入れてからは、目を休ませるようにしているので肩こりはずいぶん楽になったように感じています。
まだ『老眼』になっていない方も、日々、目は老化しています。
今からでも目に負担のかかる見方を止めて、少し疲労を感じたら目を休ませることをしてみて下さい。
死ぬまでお世話になる大切な目ですから、1日でも早くから目を労ることで目の健康寿命を延ばすことに繋がるハズです。