ブラック介護施設で5年間働いた筆者が、実際に体験したとんでもないエピソードをご紹介します。
あまりにも衝撃的な内容なので、心臓の弱い方はUターンして下さい。
では1つずつご紹介していきます。
目次
ブラック企業エピソード【階段から社長に蹴り落とされそうになった話】
社長室で筆者が説教された直後の話です。
社長の話が終わり、持ち場に戻る了解を社長から得て階段から1階に降りようとした時です。
筆者が階段を降りようとした正にその時、
後ろから社長に蹴られました(°0°)
全く予期してなかったので、まともに防ぐことができず強い衝撃を受けました。
蹴られた反動で階段を滑り落ちそうになったので、慌てて両手で手すりにつかまり何とか落ちずに済みました。
急な階段でしたし、下まで転がり落ちたら大けが必死です。とんでもない行為です。
筆者が咄嗟に手すりを掴まなかったら、間違いなく落ちていました。
筆者が怪我をして被害届を出していれば、社長が立ち上げた会社が犯行現場になるのです。
そんな事も想像できないほど感情的になっていたのでしょうか?
自分の感情に振り回されて冷静な判断ができないなら、社長失格です。
筆者は一方的な被害者なのは明らかですが、社長はなぜこんな暴行に及んだのか?
少し考えてみたのですが、馬鹿らしくて止めました。
しょせん、「腹が立ったから蹴った」という単純な理屈だったのかもしれません。
落ち方が悪かったら後遺症が残る大けがに繋がっていた可能性もあり、転落しなくて本当に良かったです。
ブラック企業エピソード【一晩で30枚のレポートを書くよう命令】
失敗しない人間なんて世の中に存在しません。
このブラック施設でも、1回目の失敗なら説教されて終わることが多いです。
ところが2度目になると、途端に厳しくなりペナルティまであります。
ペナルティの内容は様々でしたが、「陰湿なイジメ」と言っても良いくらい低レベルなものもありました。
その中でも、時間の長さと労力がダントツで大きかったのが、コレ
一晩でレポート30枚作成
でした。
しかも、1晩で書き上げなければいけません。
退社後、自宅に帰ってから書き始めて翌日の出勤時に提出するのがルールです。
いくら徹夜して頑張っても、1枚でも足りなければ翌日は更に倍の枚数を書いてくるように命令されたこともありました。
訳分かりませんよね(ノД`)
社長がよく好んで使っていた言葉が「けじめをつけろ」でした。
「お前は俺の期待を裏切った。どうケジメつける気だ!」
このレポートも、社長からそう言われて始めたものでした。
毎晩書きました。
テーマは仕事に関連することが条件です。
退社しまだ仕事の疲労が残る時間に、30枚という作業量は眠気が強くてはかどりません。
筆者の場合、一度寝てから深夜2時頃に起きて朝までに完成させていました。
友人との飲み会など、他の予定なんて入れられません。
どうしても外せない用事がある際は、用事を済ませてから書き始めるのでほぼ徹夜の作業でした。
毎日なので、土日祝日も書きます。
3連休なら30×3日分=90枚を連休明けに提出してました。
最初のうちは1つのレポートを完成するのに5時間位かかってました。
どんな苦痛な作業であれ、やっているうちにさすがに慣れてきます。
1年以上、毎日続いた作業も最後の頃は3時間くらいで書けるようになっていました。
書くことに集中して必死でしたので、自分の姿勢のことなど気にしていませんでした。
そうやって毎日同じ姿勢で書いていたら、同じ箇所を圧迫していたので左臀部を痛め、右肩も以前より上がらなくなりました。
休憩やストレッチをする時間さえ惜しかったのが原因です。
結局、作業効率も悪くなるのでしょうが、体をほぐす時間があったら《少しでも早く終らせて寝床に入りたい》という心境だったのです。
臀部の痛みは今でも残っていますし、右肩も可動域は戻ったものの痛めやすくなりました。
ブラック企業エピソード【年休は1日も取らせない】
年休を付与するのは会社側の義務なので、社員に取らせないのは違法です。
ですが、年休なんて5年間の間たったの1度も取得できませんでした。
「休みを取るのは悪いことなんだ。」という心境にさせ、取ろうと考える人間は裏切り者のレッテルを貼られたのです。
《年休を取らせないために言われた言葉》
「お前が休んだら他のスタッフの負担が大きくなる」
「仕事を満足にできない人間が休みをとる資格はない」
悲しいことに直属の上司が社長の信者なので、筆者には相談相手が社内にいませんでした。
社長の命令は絶対でしたし、「おかしい」と思っても口に出せません。
自分の意見や不満が社長と上司の耳に入ったら何をされるか分からない。
結局、退職するまで5年間勤務したのですが年休は1度も取れず忌引きもなく、体調が悪い時も休まず出勤し続けました。
ここに入社する前は、20年ぶりに再開した友人から「見た目が昔と変わらない」とビックリされていたのです。
それが、このブラック企業を退職した直後に昔の友人達と会った際、皆が一斉に声を上げて驚いていました。
「老けたな」
「何があったんだ!?」
休日が少ない分、会社の人間と一緒にいる時間が長いので、それだけ心も体も消耗したのだと思います。
ブラック企業エピソード【昼休みは5分間】
午前の勤務が終わり、普通の会社なら昼休憩です。
ようやく一息つける時間…のハズですが、このブラック施設には昼休憩なんてありません。
人手不足でしたので、筆者に昼休みを取らせるために社長が筆者と勤務をするのです。
普通の神経の持ち主なら、自分の休憩時間のために会社の社長が自分の代わりに業務につくという状況は苦痛になると思います。
筆者もそうでした。
別の人でも気を遣うのに、交代するのはこの社長です。
「お前の代わりに来てやってるのに、感謝の気持ちがない!」
と言い出す可能性は大いにあります。
「感謝の気持ちがない人間」というテーマで、筆者をやり玉に挙げる材料を提供することにもなるので考えるだけでストレスです。
そんな胃が痛くなるような状況を作られて、気持ちよく休めるワケはありません。
昼休みが苦痛の時間に変わるのに時間はかかりませんでした。
その結果、5年間で30分以上の休憩を取ったのはたったの1.2回です。
筆者にとっての昼休みは、《急いでおにぎりを口に頬張り、水で流し込む》だけの時間でした。
休憩に入ってから5分ほどで持ち場に戻り、社長と交代します。
社長は筆者が昼休憩もまともに取らず戻ってきても、当たり前のような顔で立ち去ります。
上司はというと、「忙しい」と言いながら昼休みにタバコを吸う時間はある。
その上司も、筆者がまともに休んでいないのを知りながら関心がない様子。
休憩が15分に及ぶと、社長から
「遅かったな?何かあったのか?」
と睨まれ、上司からも「戻るの遅かったけど?」と嫌味を言われる…そんな職場でした。
この会社を辞めて別の職場にうつった時、普通に昼休みがあるのが本当に嬉しかった。
社長も上司もいない空間で、たっぷり時間を使って食事を取れたことに感動したのです。
ブラック企業エピソード【5年間、筆者の存在は無視し続けられた】
「おはようございます」
「お先に失礼します」
社会人なら当たり前の挨拶ですね。
筆者の場合、入社して最初の1週間くらいは挨拶すると上司から返事をされていました。
それ以降は筆者が退職するまで、ただの1度も返事をされたことはありません。
「苦手な上司」の話になると、『ぶっきらぼうな挨拶をする上司』と答える人がいました。
挨拶されるだけマシだと思います。
筆者の場合、完全に無視されます。
目を合わせることもありません。
この会社に来るまで何カ所か勤めましたが、「たまたま聞こえなかったから」という以外は挨拶を無視された経験はありません。
どんな偏屈な人でも、面倒くさそうであれ返事はしてくれました。
挨拶は仕事の基本ですし相手の存在を挨拶をして認めることで、お互いに良好な関係を形成していく…。
筆者はそう学んできました。
だからこそ仕事でそりが合わなかったり、苦手な人でも一緒に仕事をすることができたと思っています。
ところがこのブラック企業では、『挨拶』すら世間の常識は通用しませんでした。
挨拶をしないということは
「お前の存在なんて認めないよ」
と言ってるのと同じです。
この上司は挨拶をしないとはいえ、筆者は無視されるのが分かっていても毎日挨拶していました。
心のどこかで「今日こそ返事がくるかも…」という淡い期待をもっていたのですが、5年間その期待は裏切られ続けてきました。
1度だけ「挨拶をしない上司」について、社長に相談したことがあります。
その時、社長は何て言ったと思いますか?
↓
お前が悪い。
…..もう絶句です。
「お前がこれまで迷惑かけた事を考えろ」
「当たり前だろう、分からんのか?」
そんな言葉のオンパレードです。
…確かに過去に筆者がミスをして、上司がその尻拭いをしたことがあったかもしれない。
(だけど、挨拶しないことを正当化するなよ!甘やかすなよ!)
上司も上司なら、パワハラを擁護する社長もおかしい。だから、この会社は従業員に笑顔がないんだよ。
この一件は、筆者が退職を決意した大きな理由になりました。
今回、ご紹介したのはほんの一部です。
ブラック企業で体験した驚きのエピソードはまだたくさんあるので、随時更新していきます。
最後まで読んで頂きありがとうございます。